ガルシアです。
人のアイデンティティーというものは
ほんとうに不思議です。
原則としては、その人を守るために、
《絶対に譲れない信念》として存在しています。
そのはずなのに、
時として、本人にとっては
とても不服なことであったとしても、
どんなことをしても、
一定の結果に導こうとします。
どんな手を使っても、
その《信念》どおりの結果を出そうとします。
たとえ本人にとって
その結果が不快であったとしても、です。
今日の話はセルフイメージの根幹のしくみから
話さなければいけなくなってしまうので、
要点だけを簡略に書いてみます。
なぜそうなるのかは、
ぜひみなさんで解読してみてください。
人は嫌な思いをしたくないものです。
できるかぎり不快を避けようとします。
そしてまた同時に、
常に《良いか悪いか》も考えてしまいます。
どんなことをしても加害者であろうとする人がいます。
加害者であれば、いつも謝っていればOKです。
すみません、と言えばいいのです。
どんなことをしても被害者であろうとする人がいます。
被害者であれば、いつも人のせいにできます。
わたしは悪くない、という立場を保つことができます。
加害者であろうとする人と、
被害者になりたがる人。
それぞれに心のしくみがあり、
そこに理由とメリットがあります。
どんなことをしても、
《自分が嫌な目に会った》という事実を
認めたくない人は、
常に加害者であろうとします。
加害者であることを証明しようとします。
なぜなら、被害者になる、ということは
嫌な目に会う、ということです。
被害者である自分を認める、ということは
嫌な目に会った、ということを
認めるということです。
それだけはどんなことがあっても、
認めるわけにはいかないのです。
だからこそ、
「わたしは嫌な目になんか会っていない」
ということを証明しようとしてしまいます。
片や、どんなことをしても、
《わたしが悪かった》ということを
認めたくない人は、
常に被害者であろうとします。
被害者であることを証明しようとします。
なぜなら、加害者になる、ということは、
わたしが悪い、ということです。
加害者であることを認める、ということは、
自分が悪かった、ということを
認めるということです。
それだけはどんなことがあっても
認めるわけにはいかないのです。
だからこそ、
「わたしは悪くない。悪いのはあの人」
ということを証明しようとしてしまいます。
どうしても被害者であることを認めない人と、
どうしても被害者であろうとする人。
それぞれにその人のアイデンティティーという
《信念》がいつもその結果をもたらしています。
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