ワクワクで行こう♪~心の方程式~

本当はそうだったのか!目から鱗の心理学 なぜどの方法も上手くいかなかったのか。 その理由と心のしくみをお話します。

認知的不協和と感情の自己否定について書いていたら、長くなってしまった。。。

ルシアです。

人は自分を悪者にしたり、

ほかの誰かを悪者にしたり、

あるいは、ほんとうは違うのに、

「そうだったんだ」と思い込むことで、

自分を納得させようとすることがあります。

 

たしが悪いんだ。

あいつのせいだ。

そんなに欲しいわけじゃなかった。

あれはたいしたことなかったんだ。

ほんとうは悲しくなんかなかった。

そんなにキツくは無かった。

 

ぜそんな心にもないことを、

無理に思い込もうとするのか。

それは認知的不協和のせいだと言われています。

イソップ物語の《酸っぱいブドウ》です。

狐が、どうしても届かないブドウに対して、

ほんとうはすごく欲しいのに、

「あれはどうせ酸っぱいのだ」

と悪態をつくたとえ話で知られています。

 

ぜそんな事実と違うことを、

言ってしまうのでしょうか。

これは、取れなかったブドウを

「じつは酸っぱいのだ」と思うことによって、

自分が届かなかった、という不快感を

解消したいからだ、と言われています。

 

もじつは不快感を解消するためではなく、

届かなかった、という事実を、

「それでよかったんだ」

「それが正解だったのだ」と

自分の行動や結果を正当化したいからです。

 

「美味しいブドウが取れなかった」

ということになってしまうと、

失敗した、うまくいかなかった、

ということになってしまいます。

でも、酸っぱいのなら、

《欲しいけど取れなかった》のではなく、

《あえて取らなかった》ということになり、

失敗したことにはなりません。

 

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分が今置かれている状況が、

本来の願望とは違ってしまった時、

多くの人はそのギャップ、

つまり《不協和》の辻褄を合わせ、

不快感を解消しようとします。

その不協和をそのままにしておくことが

できないのです。

 

知的不協和とは、ということと、

なぜ人はそれを解消しようとするのか、

ということについての説明は

あらゆる記事やブログに書かれていますが、

「なぜ認知的不協和が起きてしまうのか」

ということについては書かれていません。

 

知的不協和が起きてしまうのは、

自分の過ちを認めたくないからです。

自分の行動や選択が間違えていた、失敗した、

ということを認めたくないからです。

 

の前の事実を、

「失敗した」「過ちだった」

「悪かった」「間違えた」

認知するからこそ、

そこに不協和と不快感が生じてしまいます。

正誤や善悪で出来事を判断しない限り、

認知的不協和は起きません。

 

知的不協和において不快感が生じるのは、

そのギャップに対してではなく、

「失敗した」「間違えた」という認識に対して、

不快さが生じているのです。

 

も本来は人の行動に

間違いも正しいもありません。

正誤や善悪や良し悪しばかりを気にしていると、

人生のあらゆるところで、

認知的不協和に陥ってしまいます。

 

「間違えたくない」

「失敗しないようにしなきゃ」

ばかりを考えていると、

自分の過ちを認めたくないので、

自分の行動や考え方を

つねに正当化しなければいけなく

なってしまいます。

そうやって、

すぐに認知的不協和に陥ってしまいます。

 

んとうは悲しいのに、

「ほんとうは悲しくなかった」

ほんとうは上手くいかずにすごく悔しいのに、

「失敗したわけじゃない」

「人生に失敗は無いから」

「これもまた成功したということ」

自らのミスでピンチを招いたのに、

「いや、これはチャンスだ」

と思おうとしたり。

 

るいは自分を悪者にして、

「わたしが悪かったんだ」

「わたしが間違っていたんだ」

と自分に言い聞かせることで、

あいてを不愉快にすることを

避けようとしたり。
(そうすることで自分に不快なことが起きるのを
回避しようとします)

 

うやって目の前の事実と、

心の中の願望が矛盾している時、

人は目の前の事実の解釈を、

無理やり捻じ曲げようとしてしまいます。

 

の時あなたは無意識のうちに、

あなたの心が感じた、

ほんとうの感情を否定しています。

ほんとうは悲しかったり悔しかったり、

辛かったり、怒ったりしているのに、

そんな感情を感じていないことにするために、

目の前の出来事の解釈を

無理やり変えようとしてしまいます。

そんなものはポジティブシンキングでも

なんでもありません。

 

れは、

「わたしはそんな感情を感じていない人」

だと思おうとしている、

なろうとしている、ということです。

つまりそんな感情を感じている自分を

否定しているのです。

 

して、そんな自己否定は、

意識的に行われる場合よりも

無意識に行われている場合がほとんどです。

 

な目に会いたくないから、

目の前の事実の解釈を

変えようとしているのに、

やればやるほど、

無意識のうちに自己否定を

し続けることになってしまいます。

 

んとうは悲しいのなら、

悲しめばいいのに、

ほんとうは悔しいのなら、

悔しがればいいのに、

ほんとうは怒っているのなら、

寂しいのなら、

ちゃんとあいてに伝えればいいのに。

 

も、自分がそんなに不幸なことには

なっていないことにしたいから、

その気持ちを否定して、

解釈を無理に変えようとします。

 

「ほんとうはそんなに本気じゃなかった」

「ほんとうはそんなに欲しくなかった」

「ほんとうは悲しい出来事じゃなかった」

「ほんとうはちゃんと愛されていた」

そうやってあなたの想いとは違う、

別の解釈を選択しようとします。

 

も、もしも狐が悔しさを感じなかったら、

もう二度とそのブドウに

挑戦することはありません。

悔しいからこそ、

どんなことをしても手に入れたいと望み、

その未来の夢に何度も挑もうとするし、

悲しいからこそ、

それが自分にとってどれほど大切な

ことだったのかが理解できるのです。

 

の前の事実に対して、

あなたが素直に感じた感情を、

否定するメリットなどなにもありません。

 

とえどんなに悲しくても辛くても、

悔しくても、寂しくても、

それらすべてが、

あなたが本気だったことの証拠です。

そのせっかくのあなたの想いを、

「たいしたことなかった」ことに

してはいけないのです。 

あぁ、なんだかここから

すごく長くなりそうな気がするので、

今日はここまでにしておきます。

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