ガルシアです。
もうすっかり恒例になりましたが、
今年の年末も、矢加部先生をお迎えして、
12月9日(土)に年越しの大祓祭を開催いたします。
※矢加部先生のブログはこちら
今日はちょっと長くなってしまいました・・・
大祓は6月末の夏越の大祓と、
12月末、大晦日の年越しの大祓と年に2回行われます。
半年のあいだに、知らず知らずのあいだに溜まった穢れを払い、
スッキリとした気持ちで、残りの半年や新年を迎えます。
汚れたり穢れたりすることが悪いことなのではなく、
ふだんの生活をしているだけで、
《自然と汚れてしまう》と、神道では考えます。
掃除をしないと部屋が汚れてしまうのと同じです。
それは自然な現象なのです。
大切なことは、汚さないことではなく、
定期的に綺麗にすること。
それを心がけることが、大切なのです。
部屋の掃除は年に2回だとちょっと少なすぎますが・・・
世界中どこで生まれても、
それぞれの国や地域の文化や歴史が、
その人のアイデンティティーに多大な影響を与えていることは
言うまでもありません。
日本で生まれた、というだけで、
知らず知らずのうちに、
わたしたちの心の一番深い部分に、
いつのまにか横たわっているものがあります。
それがなにか分からない、ハッキリしない、
ということは、自分の事もよく分からない、ということなのです。
日本人として生まれたから神道、というわけではなく、
わたしたち人間の《心のしくみ》そのものが、
日本ではたまたま《古神道》という形で残されています。
いにしえの人々の心が、古神道のしくみの中に隠されているのです。
心のしくみが目に見える形で残っている、
と言っても過言ではありません。
なぜこの日本にだけ、
個人が作り出した人工的な《宗教》ではなく、
誰が作ったのかわからない、
いつの間にかできた、
どんな外来の宗教の影響も柔軟に受け入れて、
それでいて、どの外来の宗教にも滅ぼされることのなかった
《神道》という習慣や風習が、
いまだに残っているのか。
残っている地域がまだまだたくさんあります。
でも、その考えがひとつの国家を成している国は
世界中どこを見ても、
日本以外には見当たりません。
だから、古神道の中には縄文や弥生の人たちの
アイデンティティーの息吹が残り、
それがそのまま現代に息づいています。
なぜ古神道は2000年以上の長きにわたり、
現代まで生き残ることができたのか。
あなたがあなたとして今日、生きている、
その心の中に、
間違いなく、いにしえの人たちの思いが、
そのまま流れていることを、
《心の方程式》と古神道の共通点から、
分かりやすく解説してみたいと思います。
と、難しい話は抜きにして、
身も心もスッキリできて、
とても楽しい時間になると思います。
ちょっと早いですが、さっぱりと新年を迎えるためにも、
ぜひお越しください♪
大祓というものを、ぜひみなさんに
体験していただきたいのはもちろんですが、
僕がお話しするパートでは主に以下の事についてお話します。
・なぜ「ワクワクで行こう♪」で大祓をやるのか。
・潜在意識と古神道はどう関係があるのか。
・あなたのセルフイメージの根幹になにが横たわっているのか。
・あなたも気が付いていない、あなたの中の思い込みとは。
・誰に教わったわけでもないのにあなた自身の中にある「感覚」について
そういった「そう言われたら、そうかも・・・」なお話を中心に、
あなたの知らない、あなたの一番深いところにあるものについてお話します。
なぜ自分の事がよく分からないのか。
それは、自分の一番深いところにあるものが
なんなのかが分からないからです。
それが分からなければ、自分が何者なのかは
いつまでたっても分からないままです。
あなたがあなたを知るために一番深くて大切なことと、
あなたのアイデンティティーの根幹にかかわる
とても大切なことを、シンプルに分かりやすくお伝えします。
みなさんご存知のように、
神道には教祖も経典も教団も信者も、
戒律も魂の救済もありません。
神道は《宗教》という概念の要件を
なにひとつ満たしてはいません。
さまざまな要因はあるとは思いますが、
《宗教》では無かった、ということが、
外部からの《宗教》に滅ぼされなかった、
大きな原因のひとつではないかと思っています。
また、神道には天国も極楽も地獄もありません。
つまり、善悪という概念が無いのです。
生者と死者を分けるのは、
《この世》と《あの世》だけです。
こっち側とあちら側。
そこにただ《ある》だけです。
雨が降ったり、日が照ったり、
作物が実ったり、子どもが生まれたり。
いろんな《状態》つまり《はたらき》がただそこにあるだけ。
この《はたらき》に古代の人は《かみさま》を感じたのだと思います。
もちろんそれはただの《はたらき》ですから、
そこに《正しい》とか《間違っている》などという
ジャッジはありません。
ただ、そういう作用がある、というだけです。
悪いことをすると神さまの罰が当たる、
という概念は、おそらく仏教伝来以降だと思われます。
わたしたちがどうすれば、
快適に幸せに生きていけるのか。
おそらく縄文や弥生の人たちは、
いろんなものに感謝して、
《おかげさま》と《お互い様》で暮らしていけば、
争いもなく、穏やかでいられるのだと、
考えたに違いありません。
汚れたものや穢れたものを《悪》とするのではなく、
綺麗にしておくことにさえ注力していれば、
いつも快適でいられることを知っていたのでしょう。
自分たちがどうすれば不幸ではなくなるのか、ではなく、
どうすれば快適で幸せに暮らせるのか。
どうすれば罰を受けずに済むのか、ではなく
どうすれば豊かな恵みが与えられるのか。
それは、悪を見つけ、敵を退治することではなく、
美しいものを大切にし、
いつも綺麗でいるようにしていれば、
おのずと快適に暮らせることを、
いにしえの人たちは、
感覚的に自然と知っていたのだと思います。
悪に染まらないために、善に注力する、
という方法は、いっけん正しいように思えますが、
善に注力するためには、
「なにが悪で、なにが善なのか」
という《善悪をジャッジする》能力が
必ず必要になってきます。
良いか悪いか、正しいか間違っているか、
という対立の論理で生きていくからこそ、
赦すことが必要になってくるのです。
正誤や善悪が無ければ、
許すことも赦すことも必要なくなるのです。
みなさんのご参加をお待ちしています。
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