ガルシアです。
先日こんな記事を書きました。
矛盾を抱えたまま、 片方の思考だけを持ち続けることはできません。 気がつかないうちにそこに矛盾があるからこそ、 いつまでもずっと悩んで、 モヤモヤしてしまうのです。 ではなぜそんな矛盾が生じてしまうのか、 そのしくみをここから書くと長くなるので、 今日は割愛します・・・
今日は最後に割愛した部分について
ちょっと解説してみます。
たぶん今日はちょっと難解だと思います。
ほんとうはこのくらいのボリュームで
解説できることでは無いのですが。
世の中を正しいか間違いか、とか、
正誤や善悪だけでジャッジしようとすると、
当然無意識のうちに、
自分に対してもそうしてしまいます。
そうするとなにかにつけ罪悪感を感じたり、
あるいはなにかで学んだことができないと、
「できなきゃいけない」と思い、
できない自分を責めたりします。
「これじゃダメだ」
「できないのは良くない」
「好きにならなきゃいけない」
「認めなきゃいけない」
良し悪しや正誤や善悪でのものの見方は、
たくさんのマストを生み出します。
(なぜ生み出されるのかまでは今日は書きません。過去ブログを参照ください)
たくさんのしなければいけないことを
創り出してしまいます。
やらなきゃいけないことができないと、
自分のことをダメだと思ってしまいます。
良くない、悪い、と思ってしまいます。
元々できる人が出来ないのなら、
それは努力不足です。
怠けものだということになってしまいます。
そして、できることを良しとしてしまうと、
できないことは悪いことになってしまいます。
でも、元々出来ない人なら、
そんなことは起きません。
元々出来ないのですから、
出来なくて当たり前です。
表面上は、
本当は好きになりたくて、認めたくて、
出来るようになって、自信を持ちたいのに、
「なんで好きになれないんだろう」
「なんで認められないんだろう」
「なんで出来ないんだろう」
と思っていますが、
その人の潜在的なセルフイメージは
《出来ない人》です。
間違えたくないから、
わたしは悪くないから、
自分を正当化できるから、
《わたしは出来ない人》なのです。
ほんとうはできるのに
怠けて出来ないのではなく、
できない人だから、
できなくて当然です。
できないことが当たり前なのです。
そうやって無意識のうちに、
セルフイメージを正当化してしまいます。
でも、もちろんそのままでは
いつまでたっても出来るようにはなりません。
自信を持てるようにもなりません。
正誤や善悪や良し悪しでのものの見方は、
その人のセルフイメージさえも、
無意識のうちに正当化しようとしてしまいます。
でも、セルフイメージを正当化してしまうと、
前述のように、
表面上の願望との間に矛盾が生じてしまいます。
認めたいのに認められない。
好きになりたいのに好きになれない。
自信を持ちたいのに自信が無い。
こういったことが起きてしまいます。
ほんとうはできるのに、
やっていなかっただけ、
となってしまうと、
今までの自分が間違っていたことに
なってしまいます。
それを認めるわけにはいかないので、
そもそもできない自分なんだ、
ということにしてしまえば、
辻褄が合います。
そうやっていつまでも、
できない自分のままで、
いようとしてしまいます。
でもそれでは表面上の矛盾は、
いつまでも解決することができません。
そもそもセルフイメージに、
良し悪しや正誤や善悪はもちろんのこと、
高いも低いも肯定も否定も無い、
ということが分かれば、
そこから発生する「ねばならない」
というマストも消えるはずです。
そんなものは初めから無いのですから。
マストが消えれば、
認めなきゃいけない必要も、
好きにならなきゃいけない必要も、
自信を持たなきゃいけない必要も、
無くなってしまいます。
そこにあるのは、
ただあなたがあなたのことを
「どんなふうに思いたいのか」
というあなたの自然な願望だけが
残るはずです。
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