ワクワクで行こう♪~心の方程式~

本当はそうだったのか!目から鱗の心理学 なぜどの方法も上手くいかなかったのか。 その理由と心のしくみをお話します。

なぜ罪悪感を感じてしまうのか。

ルシアです。

そういえば先日大阪のDXでこんな話が出ました。

ちょうど地震の後で、被害が地域によって

かなりの差があった、という話をしていたところ、

「うちはほとんど損害が無くて軽かったんです。

でも、それで『よかったー!』って喜ぶのは、

ほかの被害に合われた方のことを考えたら、

なんだか悪いような気がして」

 

まり、自分たちにとっては喜ばしいことであったとしても、

そうではなかった人と比べた時に、

「わたしたちはなぜ罪悪感を感じてしまうのか」

 

災害の時というのは、

様々な状況の人が発生してしまい

「うちは、無事でよかったね。」って言うことですら、

なんとなく、遠慮がちになってしまいます。

その《罪悪感》の発生源は、

どういう心のしくみが生み出しているのでしょうか。 

簡単に書いてみます。

 

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論から先に言ってしまうと、

これは二つのことを一緒に考えているからです。

ほかに被害にあわれた方に対して、

どんな感想を持つのか。

どんな援助をしてあげたいのか。

どう対応する自分でいたいのか。

そのことと、

自分の家族や友人が無事だったことを

嬉しい、よかったと感じることは

別々のことです。

 

なたの被害が軽かったから、

ほかの被害が甚大だったわけじゃありません。

被害にあわれた方は、

あなたの肩代わりをしたわけではないのです。

それとこれとはまったく別の出来事です。

あなたのせいでそうなったのでは無いのなら、

罪悪感を持つよりも、

もっと大切なことがあるはずです。

 

なみに、仮に

たとえそれがあなたのせいで起こったことでも、

それに対してあなたが罪悪感を持ったとしても、

それでもなお、

「どの程度の罪悪感を持つ自分が好みなのか」

「そのことに対して、どう対応する自分なら素敵だと思えるのか」

というあなたの好みの問題であることに変わりはありません。 

 

し不適切なたとえかもしれませんが、

同じ地震で近距離だから、

そんな罪悪感を感じてしまいますが、

これが地球の反対側なら、

罪悪感はさほど感じないはずです。

可愛そうだな、なんとかしてあげたいな、

できることはなにかないかな、とは考えても

少なくとも、こちらが無事で申し訳ない、

というような罪悪感は感じないはずです。

 

かに被害にあわれた方のことを考えたら、

喜んでもいられない。

そうなってしまう心情は理解できます。

でも、そこに因果関係はありません。

あなたが大丈夫だったからこそ、

好きなだけ援助できるのです。

あなたが援助される側だったら、

そんな余裕はなかったかもしれません。

 

「被害が軽くてよかったね」

そのことを喜べるからこそ、

無事だったありがたみが、

人一倍わかるからこそ、

援助せずにはいられなくなってしまう。

そういうことだってあるのです。

 

粛、というのは、

せっかくの援助の機会を奪ってしまい、

援助する側だけでなく、

援助される側の人たちの元気をも、

冷やしてしまうものことがあります。

本来の自粛という意味は

そんな意味では無いはずです。

自粛することで経済が停滞すれば、

それだけ復興だって遅れてしまいます。

 
 

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